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現役お笑い芸人が注目するお笑い賞レース一覧、コンテストの裏話

連載
公開日:2020年7月10日 更新日:2021年1月5日

執筆:東大卒芸人 山口おべん

1988年生まれ。私立開成中学校・高等学校、東京大学文学部言語文化学科言語学専修課程卒業。W東大卒コンビとして「アメトーーク!」など番組出演。 2020年1月から、コンビで自身のみエージェント制を選択。芸人になった動機はいくつかあるが、一番は「モテたかったから」。

皆さんはお笑いの賞レースをいくつ挙げられるでしょうか?近年はM-1以外の大会も知名度を得て、TVでの市民権を得たように思います。また、dボタンやTwitterでの視聴者投票は、その参加者数が注目度の高さを示しています。

今回は現役芸人である僕が、特に注目している賞レースを紹介していきます。もしも、落ちたことへの個人的な恨みが随所にダダ漏れていたらすみません。



M-1グランプリ(2001~2010、2015~)

言わずと知れた、お笑い界最高の賞レースです。2019年には、出場組数がとうとう5000組を越えました。歴代優勝者15組中10組が大阪吉本出身者です。

当初の参加資格である「結成10年以内」は、10年やって芽が出ないコンビにやめるきっかけを作る島田紳助さんの思いやりだと言われています。現在は、THE MANZAIだった4年間を考慮し、結成15年以内になっています。

漫才であれば人数制限はありません。とはいえ、決勝進出者は2006年のザ・プラン9さん(当時5人)以外全てコンビです。全参加者だと、確実な2015年以降では14人組が最多です。

逆に、1人では漫才になりませんが、僕の高校の後輩が人間とペッパーくんのコンビ「ペッパーズ」で出場し、何と2年連続で1回戦通過してしまいました。さらに翌年、彼はペッパーズと同時に究極の「ダブルペッパー」でもエントリーしました。結果は…ダブルペッパーは1回戦通過、ペッパーズは1回戦落ちでした。

今年は1回戦は無観客で開催されることがつい先日決まりました。こんなときだからこそ、優勝者には注目が集まります。

キングオブコント(2008~)

全ての芸人が漫才師なわけではありません。コント師にとっては、一番の晴れ舞台がこの大会です。例年は5月からエントリーが始まり、多くの養成所生や1年目芸人にとって初めて経験する賞レースでもあります。

第7回までは、準決勝で敗退した芸人約100名が決勝の審査を行う方式でした。先輩方の感覚が知れて興味深かったのですが、当人たちは難しい部分もあったでしょう。特に、第7回の一騎打ち方式では、吉本芸人が他事務所芸人に全勝するという極端な結果になりました。審査は公平だったと感じますが、1つ胸を張って言えるとすれば、僕だったら絶対に先輩に忖度します。

近年は、漫才でも結果を残されているかまいたちさん、音ネタ中心に活躍されてきたどぶろっくさんら、他のジャンルとの行き来も増えている賞レースです。

R-1グランプリ(2002~)


すっかり定着したピン芸人のための賞レースですが、名前の由来はご存知でしょうか?Rは「落語」の頭文字で、実際に第1回は座布団の上での漫談でした。大会創設に尽力された方々は、まさかこんなにも裸芸が強い大会になるとは思いもよらなかったでしょう。

2018年には粗品さんが制してM-1との二冠、2019年も野田クリスタルさんが優勝し、コンビでも結果を残されている方の躍進が続きます。もっとも、2006年優勝の博多華丸さんをはじめ、コンビ芸人の決勝進出は以前から見られました。

過去には、1回戦で観客&出場者全員にマルちゃん正麺2袋が渡された年もあります。僕は芸歴1年目でスタッフをしていたのですが、市販同様5袋ずつのものを、会場で2袋ずつに分けるのです。その日の仕事の8割は袋詰めでした。入場料500円で2袋もらえたお客さんは得ですね。

近年はTVでのピン芸人の活躍が増えているので、存在感がますます高まってくる賞レースでしょう。

THE W(2017~)


女芸人限定の賞レース。今年が第4回のまだ若い賞レースですが、歴代優勝者の活躍はめざましいです。昨年優勝の3時のヒロインさんは、2020上半期のブレイクタレントランキング1位に輝きました。

ネタの種類の制限はないため、3時のヒロインさんは決勝1本目が漫才、2本目がコントという、他の賞レースでは見られない構成でした。ピンネタやリズムネタもありで、さながら異種格闘技の醍醐味です。

審査方法などは模索が続く段階ですが、一貫しているのは、良くも悪くも少しバラエティーっぽいこと。賞レースって空手の型みたいに、それ自体で完成されていても実戦とは勝手が違ったりします。その点、THE Wは一般審査員の点数配分が高かったりと、お客さんのウケに徹する意識を感じます。あともう一つだけ一貫しているのが、決勝がなぜか月曜日なことです。

異なるユニットであれば併願エントリー可能と、応募資格に公式に明記してあることも特徴です。今年はコロナ渦で1回戦は動画審査ですが、それも感受性の高い女性の大会らしい配慮で、今後も率先してムーヴメントを作ってくれそうな大会です。

歌ネタ王決定戦(2013~)


こちらも比較的新しい賞レースです。音に関わるネタであれば、音源の権利問題に関わらない限りは大体OKです。第2回からはエントリーフィーが無料で、動画審査による1回戦を通過すると、最初に立つ舞台が準決勝です。

この大会、全国的な知名度はどうしても上がりません。理由は明白、決勝が関西ローカルでの放送だからです。歴代優勝者は豪華ですが、ほぼ大阪芸人(必然的にほぼ吉本)で占められています。

個人的には、第1回の原宿アストロホールでの1回戦に参加しました。多くの有名ミュージシャンがライブを行った場所だそうですが、賞レース向きの作りではないので、別の建物の学校の教室のようなところが控室でした。音ネタは作れる人と作れない人がはっきり分かれるため、即席ユニットでの参加も多く、ますます狭い楽屋でした。

歌ネタ・リズムネタブームは定期的に来るので、近いうちに人気の賞レースになるかもしれません。

ハイスクールマンザイ(2003~「M-1甲子園」が改称)


全国6地区の代表各1~2組が決勝に集い、高校生お笑いNo.1を決める大会です。優勝者はお笑い奨学金50万円のほか、吉本の養成所「NSC」に入学金免除の特待生として入学することができます。入学すべきかどうかは…ノーコメントにしておきます。

現在芸人として活動している方にも、ハイスクールマンザイ出身者がちらほらいらっしゃいます。霜降り明星のお二人もこの大会に出場されていたことから、大会注目度が増しています。ただ、霜降りさんが当時別々のコンビだったように、解散して別のコンビであったり、片方だけが芸人の道に進んだりという例が多いです。

大学生の学生お笑いもそうですが、出身者同士には強固なつながりを感じます。特に、この大会は全国にお笑い友達ができるので、これからも存続してほしい貴重な場です。

新春おもしろ荘

若手芸人にとってブレイクの最大のチャンスは年末年始にあります。その筆頭格が、過去におかずクラブさんやブルゾンちえみが優勝をきっかけにブレイクした「おもしろ荘」です。

「ぐるぐるナインティナイン」のコーナー「おもしろ荘へいらっしゃい」が2007年に始まり、元日0時台のスペシャル番組も2008年から放送されています。2010年頃にコーナーのレギュラー放送がなくなり、賞レース色の強い存在となりました。

みんな優勝者が気になるので、出演した芸人がいる年末(=放送前)の楽屋は100%その話題になります。同時に、年末の楽屋は心なしか静かになります。周りの全員が結果に耳をそばだてているからです。

近年はネタ後の一芸披露の重要度も高く、王道賞レースより若手やイロモノにチャンスが開かれています。

山-1グランプリ(2007~)

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の企画として、山崎方正さんが審査委員長を務める大会です。新年会の余興という位置づけで、毎年1月下旬に放送されます。

何といってもダウンタウンさんらの前でネタ披露ができ、正規の賞レースと違い遠慮なくツッコまれる点が魅力です。当初は点数方式でしたが、2015年以降はその芸人に合った景品を方正さんが独断で贈るシステムに変わりました。

特に吉本だと、年末に社内で大々的に募集がかかり、1次審査も吉本本社です。なので、最も年末の訪れを実感する瞬間です。残念ながら僕は、年始や1月下旬の訪れを実感したことはまだありません。

お笑い賞レースは全国に大小多くある

他にも全国には、大小を問わず様々な賞レースが存在しています。

今回は触れませんでしたが、関西で開催される大会には、以下のように歴史あるものが多いです。東京芸人の出場、優勝も珍しくありません。
・NHK新人お笑い大賞(1956~「NHK漫才コンクール」を継承)
・NHK上方漫才コンテスト(1971~)
・ABCお笑いグランプリ(1980~『ABCお笑い新人グランプリ』が改称)
・今宮戎神社 こどもえびす マンザイ新人コンクール(1980~)

劇場ライブでも順位づけがあるとはいえ、賞レースには独特の緊張感や、お客さんを含めた不思議な“本気感”があります。プロアマ問わず、成長と飛躍のための舞台は数多く用意されています。

執筆:東大卒芸人 山口おべん

1988年生まれ。私立開成中学校・高等学校、東京大学文学部言語文化学科言語学専修課程卒業。W東大卒コンビとして「アメトーーク!」など番組出演。 2020年1月から、コンビで自身のみエージェント制を選択。芸人になった動機はいくつかあるが、一番は「モテたかったから」。