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知ってると面白くなれる?お笑い芸人必見の「漫才」の歴史

連載
公開日:2022年4月4日

執筆:東大卒芸人 山口おべん

1988年生まれ。私立開成中学校・高等学校、東京大学文学部言語文化学科言語学専修課程卒業。W東大卒コンビとして「アメトーーク!」など番組出演。 2020年1月から、コンビで自身のみエージェント制を選択。芸人になった動機はいくつかあるが、一番は「モテたかったから」。

歴史は学校で習いますが、漫才の歴史は知っていますか?

知っているというアナタ、きっと芸人として売れます。
売れている人ほど昔のネタや落語をよく勉強しているものです。

知らないというアナタ、大丈夫。まだ間に合います。
これを読んで興味を持ったことを調べていけばよいのです。

漫才の歴史を紐解くと、そこには必ずその笑いが求められた時代背景があります。
ただ面白いから、ただ才能があるから売れたわけではないのです。
過去を知れば、あなたも次に流行る笑いが分かる…かも!



「漫才」ではなかった

マンザイは初めは漫才ではありませんでした。
どういうことか知らない人は、せっかくなので10秒考えてから続きを読んでください。

私たちのよく知る“漫才”の歴史は100年足らずです。
しかし、実は元になった“マンザイ”は、少なくとも平安時代から1000年規模の歴史があると考えられています。

それが、伝統芸能の「万歳(萬歳)」です。新年に「太夫(たゆう)」と「才蔵(さいぞう)」の二人組が各家庭の門口を回り、お祝いの辞を述べつつ鼓を打ち舞を踊るのがポピュラーな形でした。
三河万歳(愛知)、越前万歳(福井)、伊予万歳(愛媛)など、かつて日本各地で発展した万歳が現在も残っています。

この一部が舞台芸能となり、現代の漫才の原型となりました。
ちなみに、何も教えてくれないでお馴染みのNSCでも、こうした由来の授業はしっかりありましたよ。

吉本興業と「漫才」誕生

漫才の歴史を話すなら、吉本興業は避けて通れません。出発点は、道楽三昧だった吉本泰三が、妻“せい”とともに1912年に寄席経営を始めたこと。
入場料の工夫や他の寄席小屋の買収で規模を拡大すると、時の人気落語家・桂春団治と専属契約を結んだり、安来節(≒どじょうすくい)を大ヒットさせたりして躍進します。

いち早く所属芸人の月給制を取り入れたのも吉本でした(この文化が今も残っていれば…!)

その後、落語人気に陰りを見るや、既に寄席演芸であった万歳に目をつけた吉本。
1930年の「万歳舌戦大会」などを立て続けに開いて盛り上げます。
そして、同年に結成された「横山エンタツ・花菱アチャコ」こそ、しゃべくり漫才のルーツです。

着物ではなくスーツ、楽器も持たず、お互いを「キミ」「ボク」と呼び合い、日常をテーマに話す。当初は大ブーイングでしたが、すぐに人気爆発。
当時人気だった大学野球を扱った代表作『早慶戦』は、レコード化やラジオの全国放送もされました。今でもNHKアーカイブスなどで音声を聞くことができます。

こうした中、1933年に「漫才」表記に改めたのも、何せ吉本。名付け親は橋本鐵彦(のちの社長)だと考えられています。「漫」の字は当時人気だった「漫談」あるいは動く「漫画」という意で、親しみやすい名前になったからこそ今の発展があります。


TVスターの誕生と漫才ブーム

1953年にNHKがテレビ放送を開始し、現在の日本テレビ、TBSテレビ、テレビ朝日、フジテレビも軒並み1950年代に開局しました。やがてTVの時代の到来とともに、『ヤングおー!おー!』『8時だョ!全員集合』などの伝説的な番組が生まれます。

とはいえ、当時はTVにおけるお笑いの存在感は大きくなく、お笑いの中ならコントが強い時代。漫才は、大阪などの客足の遠のいた劇場で披露される程度の演目でした。

それが一転したのが、『花王名人劇場』『THE MANZAI』が牽引した1980年代初頭の漫才ブーム。B&Bさん、ツービートさん、島田紳助・松本竜介さんら、テンポの速い一方的なしゃべりとカジュアル(?)な衣装が、漫才を全国の若者の流行に変えました。(少し前から売れていた中田カウス・ボタンさんら含め)漫才師がアイドル的人気になるのはこの頃が最初です。

養成所の時代へ

1982年に吉本の養成所「NSC」が開校したことも、それまで弟子入りが一般的だった芸人界に変化を生みます(なお、NSC以前にも養成所はありました)。
元々は漫才ブームで足りない漫才師を補充する目的でしたが、開校した頃にはブームは見事に収束していました。

1期生の寄席を訪れた明石家さんまさん、オール巨人さん、島田紳助さんが、「1組だけすごいのがおるな」と口を揃えたのがダウンタウンさん。
漫才ブームと真逆のスローな漫才に、紳助さんが「お前ら、その漫才でいけると思ってんの?」と聞いても「いけます」と答えたとか(なお、紳助さんは純粋に疑問として聞いたんだそう)。

養成所出身者がすぐに売れたわけではなく、泥臭い努力や一部の反発もありましたが、この世代の活躍以降は養成所が王道となります。
漫才師以外でも、とんねるずさんやウッチャンナンチャンさんもオーディション番組や学校の出身。芸人界全体に外の風が入った時代です。


ネタ番組やM-1開始


1990年代に始まったバラエティ番組には今も続くものや最近まで続いていたものも多く、そこからブレイクした芸人も少なくありません。

そして2000年代に入り、ネタ番組が急速に増えます。『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『爆笑レッドカーペット』などなど。

お笑いに点数を付けることが定着し、芸人が増えたこともあり短いネタにシフトしていきます。
最たるものが、2001年から始まったM-1グランプリ。「競技漫才」という言葉を生み、最大4分でいかに大きな展開を作るかの勝負になりました。

単純なボケとツッコミではない、関係性に工夫をしたコンビ(あるいはトリオ以上)も多く生まれました。

YouTube、第7世代、そして現在


YouTubeの浸透で、ネタはより短くシンプルでないと、見てすらもらえなくなりました。
漫才も、以前のように伏線のある練った構成より、分かりやすく展開があるものが増えています。

M-1再開後の優勝ネタには、ショートネタの寄せ集めを上手く1つの展開に昇華させているものや、一部だけ聞いても話の筋が分かるものが多い印象です。

また、2019年頃から騒がれた第7世代は、とにかく自然体。嘘がすぐバレるネット社会では、視聴者は作り物を嫌うからです(「キャラとしてやっている」スタンスはありですが)。多様性を尊重する「傷つけない笑い」も今の漫才には必須。
最近では、「売れていない」と対比された第6.5世代が、むしろ実力があると脚光を浴びる逆転現象も起きています。

お笑いの変化について、かつて上岡龍太郎さんが言った言葉があります。

「昔はボケもツッコミも観客から見下されていた。それがコント55号ではツッコミ(萩本欽一)が客よりも高い位置に行った。ツービートはボケ(ビートたけし)が客よりも高くなった。ダウンタウンは2人とも客よりも高い位置で芸をやっている。これからの漫才(コンビ)はどうなるんやろ?」

皆さんは現在をどう見て、未来はどうなると考えますか?


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吉本興業については、竹中功『吉本興業史』を参考にさせていただきました。詳しく知りたい方はぜひ。
竹中さんは、NSC開校や『吉本興業百五年史』編纂の中心人物だったほか、謝罪の神様として数々の芸人の謝罪会見に同席された方です。僕も少しお世話になりました(謝罪ではありません)。

執筆:東大卒芸人 山口おべん

1988年生まれ。私立開成中学校・高等学校、東京大学文学部言語文化学科言語学専修課程卒業。W東大卒コンビとして「アメトーーク!」など番組出演。 2020年1月から、コンビで自身のみエージェント制を選択。芸人になった動機はいくつかあるが、一番は「モテたかったから」。