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滑舌

お笑いコラム
公開日:2024年2月1日 更新日:2024年2月9日

執筆:吉松ゴリラ

SHUプロモーション所属。宮崎大学大学院主席。もともとコンビで活動していたが、解散後ピンへ転身。「激レアさんを連れてきた。」「新春おもしろ荘」「ガキの使いやあらへんで!」「ウチのガヤがすみません!」など多数出演。

しゃべりを生業にする芸人にとって、武器にも弱点にもなる滑舌。ふとTVを見てみると、滑舌に難がある芸人が多く活躍している。しかしその一方、滑舌が悪い芸人がそれで苦労しているとも聞く。それでは、お笑い芸人にとって、滑舌は良い方が良いのか悪いのか。

今回は、滑舌をテーマにお話させて頂く。

是非、最後までご一読頂きたい。



やっぱりそうなの?滑舌が悪いのは不利!?

極稀に、滑舌にこそ難のある一部の天才達がメディア出演を果たし、売れっ子芸人になる事がある。そのため「おもしろさと滑舌はあまり関係無い」と思われるかもしれないが、実はそんな事は無い。

滑舌が悪いという事は、世界陸上100m走決勝戦において、1人片足を縛って走らなければならない程度には不利である。

ぼくが吉本興業のNSCに通っていた頃、当時の講師から「どんなにおもしろいボケも、お客さんに聞こえなければ意味がない」という言葉を聞いた。極々当たり前の事だが、この言葉が「芸人」という職業と「声」というものの関係性を、一番端的に表している。

どんなスーパーマシンを乗りこなせるF1ドライバーがコックピットに乗ったとしても、マシンが思うように動かなければそのタイムは劇的に落ちる。凄まじいボケを思いつく頭脳を持っていても、上手く言葉にして伝える事が出来なければ、やはり笑いの量は激減するのだ。

だからこそ養成所では発声の授業と称して、声量を上げる練習や、滑舌を良くする練習がカリキュラムに入れ込まれていた。

なので滑舌が悪いという事は結構な短所なのだが、短所が長所になり得る場所がお笑い界。今回は、滑舌が悪いが成功している芸人達をカテゴリ分けして、ご紹介する。

ほんの一握りの天才!ズバ抜けた才能で「滑舌の悪さ」をねじ伏せる人々!

滑舌という短所のマイナス分をカバーして余りある、凄まじい才能を持つ人々。言ってしまえば「天才」だから、「滑舌の悪さ」でその才能が潰れない天上人。

今回ご紹介するジャンルの中で、唯一「短所を長所に変える」という事をせず、ほぼ正面から「滑舌の悪さ」という短所をねじ伏せている人々。

タイトルに「ねじ伏せる “人々” 」と称しながらも、恐らくこのジャンルの天才は唯一人。それが三四郎の小宮氏。

小宮氏の凄まじい所は、彼の笑いの多くが「ワードセンス」や「返し」によって作られている所。この2ジャンルは「間」と「テンポ」がかなり重要で、言葉にも「切れ味」が必要とされる。

およそ「滑舌が悪い」というデメリットとの相性は最悪にも関わらず、このジャンルで圧倒的な笑いを取っている。恐らく彼以前に、滑舌が悪い芸人の中で、この才能の示し方をした芸人は存在しないはず。

滑舌芸人は、彼以前、彼以後に別れる。しかも明確に。

しかも、彼のポジションは「ツッコミ」である。ツッコミとしての役割を考えた場合、滑舌が悪いというハンディキャップは相当のもの。通常、スパッと入らないツッコミは「絶対に」ウケない。しかしそのワードセンスの高さが故、多少聞き取り辛くても、笑わせてしまうのだ。

また、「オールナイトニッポン0」でもラジオ番組を持ち、声のみで勝負する世界において、ご長寿番組となっている。

これは小宮氏のトークが、「トークとしておもしろい」から。毎回10〜20分ほど話される、身の回りに起こった長尺のエピソードトークですら、滑舌をハンデとせず「トークとして」しっかりとおもしろい。

「何を言っているか分からない」という「 “滑舌の悪さ” を利用する笑い」はせず、他の芸人達と同じ土俵で勝負し、評価を得ている。

ちなみにこの天才の見分け方は簡単。「滑舌の悪さ」をイジられているか、イジられていないか。

芸人は只々おもしろい事が大好きだ。「滑舌の悪さ」以上に圧倒的なおもしろさがある場合、いちいち「滑舌の悪さ」をイジって笑いの邪魔をしたりはしない。基本多少話がモタついても、最後まで聞きに回るのだ。

ちなみに小宮氏、逆にいうと孫悟空が如く、両手足に重りを付けながら闘っている状態で、その才能の深さは底が知れない。タイトル通り、ほんの一握りの天才。

これはキャラクター!「滑舌の悪さ」が愛嬌になる人々!

先述した天才は、「 “才能” で “滑舌の悪さを叩き潰している” 」人々だが、このジャンルは「 本人の “キャラクター” が “滑舌の悪さを活かしている” 」人々。別の言い方をすると、視聴者の注目が「滑舌の悪さ」よりも「キャラクター」に集まる人々とも言える。

彼らは「滑舌の悪さ」と共に「おばかキャラ」や「天然キャラ」、「テンパりキャラ」のような「キャラクター」を併せ持ち、「滑舌が悪い」が愛嬌になっている。/

もう少し踏み込んだ言い方をすると、このジャンルの人々は「キャラクター」こそが武器。世間にこのジャンルの人々の名前を出した時に、恐らく真っ先に「あの “バカ “の人だよね?」や「あの “天然“ の人だよね?」という第一印象が返ってくる。

そう、「滑舌が悪い」を抑えて「キャラクター」が先に返ってくるのだ。

そしてこれらのジャンルの人々にとって、「滑舌が悪い」は、そのキャラクターの一部。普段作っている「バカな笑い」の一部に「滑舌が悪い」という笑いが入っている感じ。

そう、彼らにとって「滑舌が悪い」は、「キャラクター」というマシンを動かす歯車の一つであり、実は他にもたくさん武器を持っているのだ。

ちなみにこの「キャラクター」はどちらかというと、彼らの人となりに起因する場合が多い印象。ネタも平場もほぼ同じキャラクターであり、割と日常生活も同じキャラクターである場合が多い。

つまり、まんま彼らの人となり。人となりからくるキャラクターであるが故、「滑舌の悪さ」が、一番視聴者に受け入れられやすいジャンルの人々。

全く言葉が分からない!「分からない」を笑いにする人々!

今回ご紹介するジャンルの中で、一番「滑舌の悪さ」という短所を、長所として利用している人々。

彼らは「自分が何を言っているのか分からない」という事実が前提のネタを披露し、トークを展開する。その見せ方はかなりピンポイントになってしまうものの、他で見る事ができない独自性の高い笑いは強烈なインパクトを残す。

彼らのメディア出演は、王道からは少しそれる。ある意味彼らは、「芸人はしゃべれてなんぼ」という認識への裏切り。なので「地下芸人を集めてみた」というような企画や、「こんな芸人どうですか?」というMCを困らせるような企画に呼ばれやすい。

しかしそういう限定された条件で、圧倒的にウケるのがこのジャンルの人々。そう、これこそ制約と誓約。

彼らは、「王道は進む事は出来ないが、邪道では無類の力を発揮する」という念能力者なのである。

そのメディア全般での呼ばれにくさとは裏腹に、その場で圧倒的な結果を残す彼らは、ピンポイントの番組にハマりやすい。

「他のどの番組でも見かけないが、この番組には毎週出ている」といった感じ。逆にいうと「この番組には毎週出てるのに、他のどの番組でも見かけない」とも言える。

しかし「芸人が爪痕を残すというのは、こういう事だ」と言わんばかりに毎回爆笑を取り続ける彼らは、ほぼレギュラーになり、彼らを中心とした企画も誕生する。

良い意味で番組のおもちゃにされ、若手芸人が理想とする様々な企画を体験する。更にこういう番組、アングラな芸人に注目するだけあって異常に芸人視聴率が高い場合が多く、彼らの名は一気に芸人界隈に知れ渡るのだ。

「あの番組の、あの芸人が見たいーー・・」。彼らのおもしろさは、スレた芸人達に、毎週一週間経つのを楽しみに生きていた、忘れていたTV大好きっ子の時代を思い出させる。

兎にも角にも、「狭く深く」となる人々。なのでその番組が終了すると、途端に行き場が無くなる。しかしそんな彼らは死後の念となり、より強力になって、いずれお笑い界を席巻する。多分。

まとめ

今回は、滑舌についてお話させて頂いた。

冒頭に記載したように、滑舌は良ければ良い方が良い。大人から子供まで全人類を相手にする芸人にとって、誰にでも聞き取りやすく、誰にでも分かりやすい言葉を繰る事はある意味出来て当然の事。

そのため、芸歴をある程度重ねても、発声のレッスンに通ったりする芸人も存在する。芸人にとって声は才能であり、声こそ才能。「聞き取りやすい声」というのは、それだけで一つの才能なのだ。

しかし、その「王道から外れている事」こそ「芸人としての個性」でもある。

芸人の世界において、個性もまた、至極の才能。上述した人々は既に日の目を浴びている人々であるが、劇場レベルでもその「滑舌の悪さ」を、別の方法で活かしたネタをしている芸人達はたくさん存在する。

是非一度、劇場に足を運んで頂きたい。

このコラムがみなさんのお役に立つと幸いだ。

ご一読、ありがとうございました。

執筆:吉松ゴリラ

SHUプロモーション所属。宮崎大学大学院主席。もともとコンビで活動していたが、解散後ピンへ転身。「激レアさんを連れてきた。」「新春おもしろ荘」「ガキの使いやあらへんで!」「ウチのガヤがすみません!」など多数出演。