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東大卒の僕がお笑い芸人になった本当の理由【お笑い芸人 山口おべん】

連載
公開日:2020年7月1日 更新日:2021年1月5日

執筆:東大卒芸人 山口おべん

1988年生まれ。私立開成中学校・高等学校、東京大学文学部言語文化学科言語学専修課程卒業。W東大卒コンビとして「アメトーーク!」など番組出演。 2020年1月から、コンビで自身のみエージェント制を選択。芸人になった動機はいくつかあるが、一番は「モテたかったから」。

「幼い頃からお笑い番組ばかり見て、芸人になることをずっと夢見てきました」

そんな芸人がはたしてどれくらいいるのでしょうか?少なくとも僕、山口おべんは違います。

芸人になると決めたのは大学卒業の半年前で、卒業式の翌日に養成所の面接に行きました。実は「芸能」を志したのは中学生の頃ですが、元々目指したのは音楽で、お笑いの「お」の字も考えませんでした。

では、なぜそんな僕がお笑いを選んだのか、そして実際なってみてどうだったのか。理想と現実を比べて書いていきます。



毎日同じことをしたくない

「単純作業」。僕が一番嫌いな四字熟語です。あれは、どうしても睡魔を呼びたいときにだけするものですね。僕は勉強が取り柄ですが、あくまで「いかに工夫して簡単に解くか」に燃えるのであり、単調に机に向かうのは3分と持ちません。

毎日同じデスクに通って、代わり映えのない仕事をして、苦手な人の近くだったらずっとそのまんまで。そんな仕事だけは絶対に避けたい。

その点、お笑いは同じ条件ということがありえない仕事です。お客さん、番組、企画、何かが毎回違います。非日常の体験ができるのもお笑いならではです。こんなに理想的な仕事はないと思いました。

なってみて、確かに非日常的な経験は何度もさせてもらいました。一方で感じたのは、「上に行く人ほど毎日同じことをしている」ということです。モノマネ芸人さんが「もし○○が~をしたら」という空想モノマネができるのは、売れている人はコンスタントに自分の色が出せるからです。そこに努力が必要ならば、彼らは毎日の積み重ねを欠かしません。

下積み芸人には、それ以上に、もっと単純な繰り返しがあります。そう、ネタ作りです。昔の僕にとって計算外だったのは、売れるために新しい形のネタを作ろうとすると、人生で一番机に向かうことになることです。

評価がはっきり分かる

「仕事の評価をはっきりと知ること」は、多くの職業で難しいのではないでしょうか。意見を聞いても、人は良いことしか言いません。悪化する原因が分からなかったり、何も言われず急に仕事がなくなったりするのは、ホラー映画よりホラーです。

では、一番評価がはっきりと分かる職業は何か。それは「お笑い」だと考えました。だって、その場のお客さんが笑うことが正義、笑わなければ失敗です。この単純明快な判定には、VARも大岡越前も必要ありません。

この点においては、今でも、他の芸能に進まなくて良かったなと感じます。音楽やお芝居では、仮に内容がひどくても、終演後には拍手が来てしまいます。体育会系や大家族で揉まれた人ならともかく、僕を含め多数派の人間は単なる自己陶酔に陥りがちです。お笑いライブで1回スベれば、みんな目が覚めるのに。

そうはいっても、お笑いでも評価が当てにならない場面もあります。

一つは、イメージ通りの言い方ができなかったとき。最悪は、序盤の大事なボケの手前で噛んでしまったときです。こうなると、ウケない原因が台本かどうかは全く分からないので、考えるのは、ただただ残りのネタ時間をどうやって引きつった笑顔のまま乗り切るかです。

もう一つは、出待ちやアンケートの評価です。出待ちは芸人と直接話すのでともかく、アンケートは匿名(お客さんが2~3人で匿名にならない場合もあるが)なので率直な意見を書けそうなものです。しかし、多いのが、「面白い」とコメントしてくださっているのに投票の〇がないパターン。これは、お笑い界の七不思議です。

活躍の幅が広い

「何をするにも芸人が一番近道なんじゃないか」。これは、学生時代から僕が考えていることです。

だって、叩き上げの政治家よりぽっと出のタレント議員の方が、よっぽど影響力があり信用できませんか?政治に限らず、知名度や伝達力が物を言う事例はキリがありません。

今や、芸人が演技、音楽、監督、執筆をすることは普通になり、MCにいたっては番組のジャンルを問わず芸人ばかりになりました。さらに、現在「元○○」芸人は一通り存在すると言われ、それも一因なのか、芸能の枠に留まらない活動が増えています。ちなみに、僕は「東大卒」であって、よく「元東大」と言われますがやめてください。

人との「違い」が評価される業界なので、前の人がやっていないことを追求すると、どこかで芸人の範囲を逸脱するのは当然とも言えます。同時に、地上波にお笑い色の強い番組が減っていたり、オモシロ枠にアイドルやYouTuberなど「ハードルの低い」方が参入していたりと、そうせざるをえない事情もあると思います。

いずれにせよ、もしあなたが何かやりたいことがあるなら、それを芸人として実現する方が簡単か、一度考えてみる価値はあるでしょう。「人が想像できることは、必ず芸人が実現できる」のです。

現代に一番必要なのはプレゼン力

あなたは何かを売りたいとします。最も注力すべきポイントは何でしょう?

現代、「モノ消費」の時代は終わり、体験や過程が重視される「コト消費」の時代です。ネットを開けば選びきれないほどの選択肢があふれ、ともすると商品に辿りつく前に挫折してしまいます。ただ「良いものを作る」では勝負の土俵にも立てないのが実状です。

今、重要なのは価値そのものよりも、それを(買うまでを含めた)ストーリーとして「伝える力」です。伝えることで初めて土俵に立てますし、同じ体験の価値を何倍何十倍にもできるのです。この「プレゼン力」こそ、世界との競争で日本人の弱点です。

僕も幼少時は人見知りで、初対面の人とは伝えるべき内容をメモしてからでないと話せませんでした。じゃあ、プレゼン力を身につけるにはどうすればいいだろう?それが芸人でした。人前で臨機応変に人の心をつかむ様は、まさに理想でした。もっとも、ネタに限れば、台本を書いてからその通り話すというのは、幼少時と何一つ変わりないですね。

極論、もし仮に芸人を辞める日が来るとしても、芸人経験で得たプレゼン力は必ずプラスになると考えています。うっすらとですが、そんなことをなる前から考えられる頭脳を持っていたので、ますます「芸人になるのはもったいない人材」だったのかもしれませんが。

結局モテたい

ここまで書いたことは本気ですが、これから書くことは超本気です。

芸能をやっていてモテたくないというのは、親兄弟に勝手に応募されたパターン以外に考えられません。逆を言えば、承認欲求が全くないというなら、すぐに芸能をやめた方が良いです。

僕は中高が男子校でした。ようやく共学になった大学で、マイナーな韓国朝鮮語クラスを選んだばかりに、21人クラスに女子2人。しかも、1人は彼氏持ちで、もう1人はベラルーシ人。僕は、青春を知らずに大人になりました。

この世界に自分を受け入れてくれる人が何%いるか分からないし、そのほとんどは自分と出会うことすらないのです。じゃあ、自分の存在を知っている「母数」を増やすのが一番良いのでは?僕の知性が人生で最も発揮された瞬間でした。

まあ、ほっといても向こうから寄ってきてくれるゴキブリホイホイにはなれませんでしたが、芸人として、人様からの見え方や相手の気持ちには鋭くなりました。多分、恋愛指南所に書いてあるような非モテの特徴は一通り克服できたので、結果オーライです。

まとめ

ここまで書いた以外にも、実は色々な思惑がありました。しかし、面白いくらいに予定通りにはいかないものですね。

「スーツを着たくない」というのも、汗っかきにとっては深刻な理由でした。前のコンビのときは薄着で済ませていたのですが、現在はスーツを着た上に、外国の卒業式で着るような「角帽&アカデミックガウン」を重ねて着ています(しかも真っ黒)。まさか、スーツの進化形があるなんて思いもしませんでした。

「会社に縛られたくない」という理由もありました。この点には、2つの誤算がありました。1つは、縛られないということは保証されるものも少ないということ。もう1つは、2019年の吉本興業は日本で一番悪名を轟かせ、最も会社名に縛られる会社だったことです。

「頭いい」以外の褒め言葉が嬉しかったというのもあります。「頭いい」に対しては認めても謙遜してもダメだし、昔からそこだけが切り取られてしまうので、人間全体として評価してほしかったのです(こうして変な活動を始めるのが東大生のあるあるだと、後で知りました)。これも誤算だったのが、「面白い」と言われる回数が増えた以上に、「面白くない」と言われる回数が増えたことです。

こうして書くとことごとく失敗していますが、おかげさまで退屈することはありません。なので、芸人になった選択が人生で最良であったことは、今も未来も胸を張って言えます。もちろん、生まれ変わっても芸人に…は多分なりません。

執筆:東大卒芸人 山口おべん

1988年生まれ。私立開成中学校・高等学校、東京大学文学部言語文化学科言語学専修課程卒業。W東大卒コンビとして「アメトーーク!」など番組出演。 2020年1月から、コンビで自身のみエージェント制を選択。芸人になった動機はいくつかあるが、一番は「モテたかったから」。