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チャレンジするなら、早いに越したことはない(ジグザグジギー池田さん・宮澤さんインタビュー)

インタビュー
公開日:2020年2月20日 更新日:2021年1月5日

執筆:takazawa

彼らを知ったのは、2013年の「キングオブコント決勝」。それから、マセキ芸能社のYouTubeチャンネルを見あさり、気づいたら大ファンに。
今回は、若手実力派コント師「ジグザグジギー」のお二人に今回インタビューの機会をいただきました。

並河

ジグザグジギー宮澤聡さんプロフィール

生年月日 1984年5月17日
血液型 A型
出身地 東京都台東区
趣味 プロレス観戦、プロレスラーのサイン収集、飲食

ジグザグジギー池田勝さんプロフィール

生年月日 1981年12月11日
血液型 B型
出身地 神奈川県
趣味 スキューバダイビング、スターウォーズ、映画鑑賞、ドラマ鑑賞

<受賞歴>
「キングオブコント」(‘13)(‘16)
「ABCお笑いグランプリ」決勝進出(‘12)(‘13/第3位)(‘14)(‘16)
NHK「オンバト+」第4代チャンピオン(‘14)
NHK新人お笑い大賞本選進出(‘13)(‘14)

出典:マセキ芸能社タレントプロフィール(https://www.maseki.co.jp/talent/zigzagziggy

ジグザグジギーのお二人から、これから芸人を目指す笑まる。読者に激励コメントをいただいています!

ジグザグジギーのお二人に、それぞれ芸人になったきっかけや周囲の反応、芸人になってからの活動など、なかなか表に出ない貴重なお話をお聞きしましたのでぜひご覧ください!



親父が厳格な人。5年間黙って芸人をやっていた(池田勝さん)

まず池田さんにお聞きします。お笑い芸人を目指すきっかけはなんですか?

(池田さん)
僕の中でいろんな要素があって、、まず一つが、高校の時に中の良い友人がすでにお笑い芸人をやっていて。プロではないんですけど、本気でプロを目指してお笑いライブ出たりとか、結構本気で活動してたんです。その友人の影響は大きいですね。

あと、大学在籍中に、お芝居にハマりまして。たまたまなんですけど、阿部サダヲさんとかが所属している「オトナ計画」という劇団が7年ぶりに新人募集をやっていることを知って。そこも結構お笑い職の強いお芝居とかをやってたんです。

ちょうど同じ時期に自分の幼なじみがお笑いやりたいって言い出して、そうしたら一緒にお笑いやろうか、ということでお笑い養成所に入りました。
なんとなくずーっとお笑いの要素が自分の中に入っていって、「やりたい」という気持ちが爆発した感じですね。

大学を出られてから、いきなりお笑い芸人というのもすごいですよね。ご両親はどのような反応だったのでしょう?

(池田さん)
いやー、最初は全然言えなかったですね。内緒で活動していました。というのも、父が割と厳格といいますか、、、別に普通に明るい性格ではあるんですけど、テレビとかあんまり見ない人で、受け入れてもらえないだろうなと思ってたんです。

その時はなので、テレビに出るときなんかは、親の動向を事前に探ってましたね(笑)バレたくなかったので。放送日には実家に帰ってチャンネル変えたりしてましたから。


そんなにバレたくないものなんですね。お笑い芸人であることをどのように告白されたのですか?

(池田さん)
ロケットライブというライブの企画の一つとして、親にお笑い芸人であることを暴露するぞーみたいになりまして、そこで「実はお笑い芸人をやっている」と生放送で伝えました。

結構ずるい伝え方だったと思いますけどね。
そしたら「とりあえず一回実家に帰ってこい」と言われました(笑)
でも今はまぁ理解して、応援してくれてます。

大学時代養成所に入ってここが俺の居場所だと思った(宮澤さん)

宮澤さんの場合は、なぜお笑い芸人を目指されたのでしょうか?

(宮澤さん)
僕の場合、小中高とずっとお笑いのこと考えてたんですが、きっかけはなんだったかなー。まず、テレビをみててお笑い芸人の人ってやっぱり面白いな、と思ってまして。

そこからどのようにして本格的にお笑いを目指すようになったのでしょうか?

(宮澤さん)
大学に進学したときにお笑いサークルに入ろうと思ったら、まさかの1つもなかったんですよ。落研っていう、落語研究会みたいなサークルはあったんですけど、本当に落語しかやらないからこれも違うなと。したら、もう自分で作ってしまおうと思って自分でお笑いサークルを作って、人を集めたりしてました。
まぁ実際本格的にサークルとしてサークルが軌道にのる頃には、僕卒業することになっちゃったんですけどね。

その大学の経験を生かして、お笑い養成所に入られたのですか?

(宮澤さん)
いや、大学時代から養成所には通ってました。大学3年の終わりくらいかなー、ワタナベエンターテイメントスクールがちょうどスクール生の募集オーディションみたいなのをやってまして、それに応募したんです。
そこでやったネタがそこそこ受けて、学費半分でいいよっていってくれて。それでそのままワタナベエンターテイメントスクールに入学することにしました。

ほんと1年みっちりお笑いについて勉強させてもらって、この頃はすごく楽しかったなー。
正直、小中高とすごいモヤモヤしてたんですよね。なんか、僕は本気でお笑いを目指しているけど、同じ気持ちを持った仲間がいなくて。大学のサークルもそこまでみんな本気って感じじゃなかったから。養成所に入っている奴らはみんな本気で芸人目指してて、刺激的でしたね。


「なんとなく頭打ちな気がしていた」コンビ解散エピソード

笑まる。読者は気になるところだと思うので聞いてしまうのですが、解散の時はどんな感じだったんでしょう?

(宮澤さん)
正直なんとなく頭打ちな気がしてきたんですよね。もともと組んでたコンビも、ワタナベエンターテイメントのオーディションとかで結果も出してましたし、悪くはなかったんですけど。なんとなく、これ以上は無理かもしれないなって気がしてました。
僕から誘ったんですけど、僕から解散を告げる感じでしたね。

池田さん

最低だなー!自分から誘っといて、相方さんかわいそうだわ。

宮澤さん

大丈夫。なんやかんや辞めたあと成功してるっぽいし、俺より金持ってそうだから。

(宮澤さん)
いやまぁ、でもなんかSNSとかに充実してそうな写真とかあげてるしいいんじゃないかな(笑)多分、僕より金もってそうですし、成功してますもん!
コンビ解散を告げた時、やっぱり僕も悩んだんですよ。でも、相方にそれを伝えて。相方の方が、すっごい落ち込んで立ち直れない、、、みたいな感じじゃなくて「わかった!じゃぁ俺結婚するわ!」って明るく受け入れてくれたのは、救われた気がしましたね。

(池田さん)
僕の場合も同じといえば同じですね。なんとなくやっぱり、これ以上は厳しいかなという感覚がありました。もともとのコンビの時も、よくしてくれる先輩とかもいてライブも出させてもらったりして。結構可愛がってもらってましたし、人気も上がっていったりはしてたんですけど。

でもどこかで違うなという感覚でいました。コンビって、恋人みたいなもので、相性が重要なんですよね。なんと言いますか、ボケとツッコミが会うっていうのはもちろんなんですけど、見た目とか、キャラクターも含め凹凸が合うかどうかっていうのがポイントだと思います。

そこからどのようにしてコンビ結成に至ったのでしょうか?

(宮澤さん)
まぁ、僕の方が先に解散してたので、僕から誘いましたね。解散してから半年くらい、ワタナベエンターテイメントからも離れて半年間くらい芸人活動をおやすみしてたのですが、その間ずっと池田と組みたいなっていう気持ちがあって、根気強く誘っていました。流石に別の相方とコンビ組んでた時は誘ってなかったと思うけど・・・

(池田さん)
いや、誘って来てたよ!(笑)前の相方の時から、一緒にやらないかって言われてたし。
なんかよく分からないけど急にこいつ(宮澤さん)が一緒に中華街いかないかとか言い出したりとかして。で、行ったら行ったで別に何話すでもなく、お互いに近況報告したりしてそのまま帰宅。一体何がしたいんだと思ったわ。

(宮澤さん)
まぁ、状況を探ってたんでしょうね(笑)時々一緒にご飯とか食べて、今の相方とどうかとか活動状況がどうかとか。そうゆうの半年くらい続けて、池田のコンビが解散するってなったときに正式に誘いました。


結成までにそんなエピソードがあったんですね(笑)でも、新しくコンビを組むのに不安はなかったのでしょうか?

(池田さん)
なんかコンビ組む前に、ライブで相方をシャッフルしてネタするっていう企画がありまして、その時にたまたま宮澤と組むことになったんですよ。
この時も結果は結構良くて、お客さんも笑ってくれて。コンビ組む前から良いイメージはありましたね。

オンエアバトルで腕を磨くことができた。ひたすらコント作りに明け暮れた日々。

お二人はそこからどのようにして、芸人としてのキャリアを歩んでいかれたのでしょうか?

(池田さん)
確か、コンビを組んで最初の出来事と言えば、キングオブコントがあって。僕ら1年目のコンビとして出場したら、二回戦に進出できたんですよ。
その時のキングオブコントって、次長課長さんとかバナナマンさんとか、いわゆるレジェンドも出てたんで、結成1年目で二回戦出るとか結構すごいなーってなりました。
それがコンビ結成して最初の大きな活動だったと思います。

順調にご活躍されていますが、自分たちのキャリアに活きたと思う経験はありますか?

(池田さん)
んー、それでいうと僕らにとってはオンエアバトルに出てた経験がすごいためになったんじゃないかなと思いますね。テレビに出れるっていうのもそうなんですけど、定期的にネタバトルがあるってなると、ちゃんとネタ作って練習してっていうのが必要になるじゃないですか。それがすごくよかったです、芸人として実力を磨くとても良いきっかけになりました。

(宮澤さん)
あと、マセキ(マセキ芸能社)のライブが月1回あって、それも結構修行になったかなと思いますね。どの芸人も真剣に観客のみんなを笑わせにいくっていう。実力派揃いの芸人の中でガムシャラにネタやる中で、自分の腕が上がっていく感覚もありました。

笑まる。読者へメッセージ「早くチャレンジした方が良い。芸人にならなかったとしても、表現した経験が後に活きる」

お笑い芸人になってよかったなと思うことはありますか?

(池田さん)
やっぱり、いろんな人に声かけてもらえるようになったことですかね。これは単純に嬉しいですね。その他にあるかな?

(宮澤さん)
僕実はですね、プロレスが大好きなんですよ。で、お笑い芸人をやっているってことでプロレスの試合に呼んでもらったり、プロレスラーの方とお話できたりすることがあるんですよね。これは僕にとってはめちゃくちゃ嬉しいですね。

芸人やってなかったらまず呼ばれないじゃないですか。
芸人としての活動を頑張って有名になることで、どんどんそうゆうプロレスの世界にも深く関わらせてもらえるようになるんじゃないかって、そうゆうモチベーションで頑張ってたりもします。趣味を仕事にしていける感覚は、やっぱりお笑いの魅力なんじゃないかな。


池田さん

お笑い関係ないでしょ!もう、この話書かなくて良いですよ

宮澤さん

いや、俺はプロレスのためにお笑いをやっていると言っても過言ではない。

お笑い養成所選びは重要だと思いますか?何か選ぶコツなどがあればお聞きしたいです。

(池田さん)
養成所選びはやっぱり大事なんじゃないかなと思いますね。養成所によって特徴がありますので。例えば、場数をとにかく踏むなら吉本さん(NSC)がいいんじゃないかな。自分たちの劇場を持っているので。他の事務所とか養成所だと、やっぱりライブやる度に場所を借りなくちゃいけないから、お金もかかるし大変で、数打ちまくるってなかなかできないんですよ。
自分のやりたいことに合わせて養成所も選んだ方がいいでしょうね。

(宮澤さん)
養成所選びとはちょっと話違うかもしれないですけど、養成所時代にどうゆう人と付き合うかも重要だと思います。同期の存在は結構大きいですね。今でも、養成所時代の同期にライブ読んでもらったりしますし。

これからお笑い芸人を目指す方にメッセージをお願いします。

(池田さん)
僕とかはやっぱり、遅く始めたのもあるから、やりたいと思うならなるべく早く始めた方が良いとすごい思いますね。若手だからこそ得られるチャンスもあったりしますし。若手ってだけで可愛がられたりもするものです。あとは、早い段階で「表現する」という経験を詰めるのが大きいです。

僕、お笑い目指す上で一番幸せな人生ってなんだろうって考えたんですよ。大学生くらいの時から、本気で芸人目指している人と一緒になって、ネタとか作ってライブの経験を積んだ上で、芸人にならずに就職するっていう。これが一番幸せ、芸人になったら地獄ですから(笑)

池田さん

芸人の修行して、就職するのが一番幸せです。

それだと芸人の夢が叶ってないですね(笑)

並河

宮澤さん

いいんですよ。芸人になったら大変ですからね。

(宮澤さん)
まぁ、確かにお笑い芸人にならなかったとしても、経験が活かせるってのはその通りかもね。やっぱり度胸とかつくし、人前で話ても緊張とか全くしないですもん。
たくさんの人の前で表現するっていう経験は、他の職業だと絶対できないですから貴重ですよね。そういった経験しておけば、例え芸人やめたとしてもいろんな職業で力を発揮できると思います。

ジグザグジギーの池田さん、宮澤さん、どうもありがとうございました!

インタビュアー:
部屋まる。代表 並河

お話を聞いていく中で、特に印象に残ったのは、お二人のお笑いに対する「情熱」と「コンビ愛」です。
小学校からお笑い芸人を目指していた宮澤さんと、大学院まで進学してから、25歳で芸人の道に転向された池野さん。歩みは違えど、お二人とも「コンビは重要」「夫婦のようだ」と口を揃えておっしゃっていたのが印象的でした。

また、オンエアバトルに積極的に出場されていた時期はとにかくネタ作りに燃えていたそう。とにかく無我夢中でコントづくりに明け暮れていたとのことです。
てっきりその努力の源泉は「ビックになるぞ」といった気合からきているものと思いましたが、そうではなく「お笑いの実力を磨きたい」と純粋な気持ちであったとおっしゃっていました。その強いプロ意識に驚かされたのを覚えています。
売れる・売れないよりも、お客様に笑ってもらいたい、レベルの高いお笑いを追求したいといった気持ちを強く感じるインタビューでした。

お二人は現状に満足される様子はありませんでしたが、お笑い芸人として早い段階からその才能を発揮され、堅調にキャリアを歩まれている印象を受けました。